「期待」という名のフィルター
- nirin-so

- 4月26日
- 読了時間: 3分
私たちは、生まれたときから様々な「期待」という名のフィルターを通して世界を見ているのかもしれません。
親からの期待、友人からの期待、社会からの期待、他者への期待、そして自分自身への期待。
これらのフィルターは、私たちに目標を与え、行動する原動力となる一方で、時に私たちを苦しめる要因にもなり得ます。
特に、「〜してくれるはず」という他者への期待は、まるで心の中にガラス細工の器を抱えているようです。
相手の行動が自分の期待通りであれば、心は満たされ、穏やかな気持ちでいられます。
しかし、その期待がほんの少しでも裏切られた瞬間、その器は音を立てて砕け散り、後に残るのは鋭い怒りの破片です。
なぜ、期待が裏切られると怒りを感じてしまうのでしょうか?
それは、期待という感情の裏側には、相手への信頼や依存、そして自分の願望が深く結びついているからでしょう。
「〜してくれるはず」という思いは、相手の能力や性格、関係性に対する自分の評価に基づいています。それが裏切られるということは、自分の判断が間違っていた、あるいは相手が自分の信頼に応えてくれなかったと感じさせるのです。
さらに、期待は未来への希望でもあります。期待が裏切られるということは、その希望が打ち砕かれることと同義です。未来へのポジティブな展望が一瞬にして暗転し、失望感とともに怒りが湧き上がってくるのは自然な流れかもしれません。
しかし、他者への期待は、コントロールできないものです。私たちは他者の思考や感情、行動を完全に予測することはできません。つまり、「〜してくれるはず」という期待は、常に裏切られる可能性を秘めていると言えるでしょう。
では、この「期待」という名のフィルターと、それが裏切られたときの怒りから解放されるためにはどうすれば良いのでしょうか?
一つの方法は、期待を手放すことです。もちろん、完全に期待を持つなというのは難しいかもしれません。しかし、「〜してくれたら嬉しいな」という願望に留め、「〜してくれるはず」という強い確信を持たないように意識するだけでも、心の負担は軽減されるはずです。
もう一つは、相手への理解を深めることです。相手には相手の考えや状況があります。自分の期待とは異なる行動をとったとしても、必ずしも悪意があるとは限りません。相手の立場に立って考えてみることで、怒りの感情は和らぐかもしれません。
そして最も大切なことは、自分自身への期待です。他者に依存するのではなく、「自分ならできる」「自分で何とかする」という自己肯定感を持つことで、他者の行動に過度に左右されることなく、心の安定を保つことができるでしょう。
「期待」は、私たちを前に進める力にもなりますが、時に鋭い刃となって私たち自身を傷つけることもあります。その両面を理解し、賢く付き合っていくことが、穏やかな日々を送るためのヒントになるのではないでしょうか。
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