「自分の責任は自分で取る」の本当の意味
- nirin-so

- 2月26日
- 読了時間: 4分
「自分の責任は自分で取る」
この言葉を聞いたとき、あなたの胸にはどんな感情が湧き上がりますか?
アダルトチルドレン(AC)としての生きづらさを抱えている方の多くは、この言葉を「冷たい突き放しの言葉」や「孤独に耐えるための呪文」のように感じてしまうかもしれません。
「誰にも頼ってはいけない」
「弱音を吐かずに、一人で完璧にやり遂げなければならない」
「すべての責任を負う」
もしあなたがそう思って震えているのなら、少しだけ深呼吸をして、この記事を読んでみてください。心理学的な視点から見ると、「自分に責任を持つ」という言葉の真意は、あなたが思っているよりもずっと温かく、そして自由なものなのです。
なぜ「責任」という言葉がこんなに苦しいのか
ACの方が「自己責任」を過剰に重く捉えてしまうのには、明確な理由があります。それは、子供時代に「親の感情や問題の責任まで背負わされてきた」という背景があるからです。
本来、子供が背負う必要のない「親の機嫌」や「家庭の不和」を、自分のせいだと感じたり、自分がなんとかしなければならないと必死に振る舞ってきた経験。これが、「責任=苦痛・孤独・重荷」という刷り込みを作ってしまいました。
そのため、大人になってからも「自分の責任」と言われると、反射的に「助けを求めてはいけない所」に閉じ込められたような感覚に陥ってしまうのです。
心理学における責任は「Response-ability」
英語で責任は「Responsibility」と言いますが、これは「Response(反応)」と「Ability(能力)」という二つの言葉から成り立っています。つまり、心理学的な意味での責任とは、「起きた出来事に対して、どう反応するかを選ぶ力」のことです。
1. 「結果」をすべて一人で抱えることではない
例えば、仕事でミスをしたとき。「自分の責任だ」と思い詰める人は、一人で抱え込み、自分を責め続けて動けなくなります。しかし、本当の自己責任とは、「このミスに対して、今自分はどう動くのがベストか?」を選択することです。
2. 「助けを求めること」も立派な自己責任
ここが一番大切なポイントです。
もし、今の状況が自分一人の手に負えないものだと判断したなら、「適切な人に助けを求める」という選択をすることこそが、最高の自己責任です。
自分の状況を冷静に判断し、自分の心身を守るために周囲のリソース(助け)を動員する。それは決して「逃げ」ではなく、自分の人生を維持するための「主体的な行動」なのです。
アドラー心理学から学ぶ「課題の分離」
心理学者アドラーは、対人関係のトラブルの多くは、自分の課題と他人の課題を混同することから生まれると説きました。
「自分の責任を取る」とは、言い換えれば「自分の課題にだけ集中し、他人の課題を奪わない」ということです。
自分の課題: 自分の感情、自分の選択、自分の体調管理。
他人の課題: 他人が自分をどう思うか、他人の不機嫌、他人の人生の失敗。
ACの方は、他人の不機嫌まで「自分の責任(自分のせい)」だと感じてしまいがちです。しかし、相手が不機嫌でいるかどうかは「相手の課題」であり、あなたの責任ではありません。
「自分ができること」と「自分にはコントロールできないこと」の境界線を引くこと。この境界線(バウンダリー)を引くことこそが、本当の意味で「自分の責任を果たす」ということなのです。
「一人で頑張らない」という勇気
「自分の責任は自分で取る」という言葉の本当の意味。
それは、「自分の人生の手綱を、他の誰でもない自分が握る」ということです。
手綱を握っているのはあなたですが、馬が疲れたら休ませ、道に迷ったら地図を見たり、通りすがりの人に道を聞いてもいいのです。むしろ、道を聞かずに遭難してしまうことの方が、自分の人生に対して無責任だと言えるかもしれません。
これからは、この言葉を以下のように書き換えてみてください。
「私は、自分の人生をより良くするために、あらゆる手段(助けを借りることも含む)を選択する権利を持っている」
あなたはもう、誰かのために無理をして笑ったり、一人で泥沼を歩き続けたりしなくていいのです。
もし、今あなたが「一人で抱え込みすぎているかも」と感じているなら、まずは「小さな頼み事」を一つだけしてみる練習をしましょう。
「重い荷物を持つのを手伝って」
「この書類の書き方を教えて」
「5分だけ話を聞いて」
そんな小さなことからで構いません。あなたが誰かに頼ったとき、世界が案外優しいことに気づけるはずです。

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