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共感=同感ではない。あなたの「寄り添い」が持つ、本当の力とは?

「もっと共感してほしいのに、なんだか話が噛み合わない…」

「よかれと思って『わかるよ!』と言ったのに、相手は浮かない顔…」


こんな経験はありませんか?

私たちは日々、人間関係の中で「わかりあいたい」と願いながら、時にすれ違いを感じてしまいます。その原因の一つは、多くの人が混同しがちな「共感」「同感」の違いにあるのかもしれません。

この二つは似ているようで、実は全く異なる心の働きです。そして、その違いを理解し、本当の意味で相手に「寄り添う」ことができた時、そこには新しい「気づき」と、人生の新たな道を照らす「フィードバック」が生まれます。


今回は、「共感」と「同感」の違いを心理学的な視点から紐解き、それが私たちの人間関係や自己成長にどう繋がるのかを探っていきましょう。


「わかるよ!」がもたらす安心感と、その裏側にある落とし穴 ―「同感」の世界


まず、私たちにとって馴染み深い「同感(Sympathy)」から見ていきましょう。

同感とは、相手の感情や意見に対して「私も同じ気持ちだ」「私もそう思う」と同意することです。相手の感情の波に、自分も一緒に入っていくようなイメージです。

<同感の例>

  • 友人:「昨日、プレゼンで大失敗して落ち込んでるんだ…」

  • あなた:「わかる!私も先月同じような失敗したよ。すごくへこむよね!」

  • 同僚:「新しい上司、ちょっと苦手なんだよね…」

  • あなた:「本当それ!私も同じこと思ってた!」


このように、「私も同じ」という感覚を共有することで、一体感や安心感が生まれます。仲間意識が強まり、会話が弾むきっかけにもなるでしょう。同感は、円滑なコミュニケーションにおいて大切な役割を果たします。

しかし、ここには注意すべき落とし穴があります。安易な「同感」は、時として相手のユニークな経験や感情を軽視してしまう危険性をはらんでいるのです。

先ほどの例で、友人はあなたとは全く違う状況で、違う理由で落ち込んでいるのかもしれません。「私も同じ」という言葉で話をまとめてしまうと、友人は「私のこの気持ちは、あなたとは違うのに…」と感じ、それ以上自分の本心を話すことをやめてしまう可能性があります。

つまり、同感は相手と自分の境界線を曖昧にし、「自分のフィルター」を通して相手を見てしまう行為とも言えるのです。


あなたの世界を、あなたのままに理解したい ―「共感」の本質


一方で、「共感(Empathy)」は、同感とは一線を画します。

共感とは、相手の感情や経験を、同意するかどうかは別として、「相手の立場に立って」理解しようと努める心理的なプロセスです。カウンセリング心理学の父、カール・ロジャーズはこれを「共感的理解」と呼び、次のように表現しました。

「相手の私的な世界を、あたかも自分自身のものであるかのように感じ取りながらも、『あたかも(as if)』という性質を決して見失わないこと」

ポイントは、「あたかも」という部分です。相手の靴を履いてみて、その歩き心地を想像する。しかし、それはあくまで「相手の靴」であり、「自分の靴」ではないことを理解している状態。これが共感です。

<共感の例>

  • 友人:「昨日、プレゼンで大失敗して落ち込んでるんだ…」

  • あなた:「そっか、プレゼンで失敗して、今すごく落ち込んでいるんだね。準備も頑張ってたんだろうし、それは辛いね。もしよかったら、どんな状況だったのか聞かせてもらえる?」

ここでは、「私も同じ」とは言いません。代わりに、相手が「そう感じている」という事実を、評価や判断をせずに、そのまま受け止めています。 そして、相手が自分の気持ちや状況をさらに探求できるよう、安全な空間を提供しています。

心理学では、共感を大きく二つに分けて考えることがあります。

  1. 認知的共感(Cognitive Empathy): 相手がどのように考え、何を感じているのかを知的に理解する力。「視点取得」とも呼ばれます。

  2. 情動的共感(Affective Empathy): 相手の感情を、まるで自分のことのように感じる力。

真の共感には、この両方のバランスが大切です。相手の感情に飲み込まれることなく(情動的共感の暴走を防ぎ)、しかし冷静に分析するだけでもない(認知的共感だけでは冷たい印象を与える)。自分と相手の境界線を保ちながら、相手の世界を旅するような感覚です。


なぜ「共感」がフィードバックと「気づき」を生むのか?

では、なぜ「同感」よりも「共感」が、人を成長させるフィードバックや「気づき」に繋がるのでしょうか。


1. 心理的安全性が「本音」を引き出す

共感的な関わりは、「あなたの感情は、あなたのものとして尊重します」という無言のメッセージを伝えます。そこには「良い・悪い」や「正しい・間違い」といったジャッジがありません。

このような「心理的安全性」が確保された空間で、人は初めて安心して自分の本音を話すことができます。「こんなことを言ったら、否定されるかもしれない」「わかってもらえないかもしれない」という恐れがなくなるからです。

2. 自己探求が「気づき」を促す

安易な同感が「わかるよ」で会話を終えてしまうのに対し、共感は「どうしてそう感じるの?」「もう少し詳しく教えて」と、相手の心への扉を優しくノックします。

このプロセスを通じて、話している本人も「なぜ自分はこんなに辛いのだろう?」「本当は何に怒っていたんだろう?」と、自分の感情を深く見つめ直すことになります。この自己探求の過程で、本人ですら気づいていなかった問題の核心や、自分の本当の願いにたどり着くことがあります。これが、内側から生まれる「気づき」**の瞬間です。

3. 的確なフィードバックが「新たな道」を照らす

相手の状況や感情を正確に、そして深く理解して初めて、私たちはその人にとって本当に意味のあるフィードバックを提供できます。

  • 同感ベースの励まし: 「わかるよ、大変だよね。元気出して!」(抽象的で、具体的な次の一歩には繋がりにくい)

  • 共感ベースの寄り添い: 「〇〇という状況で、△△と感じているんだね。もし何か手伝えることがあるとしたら、どんなことだろう?」

後者は、相手の固有の状況を理解しているからこそできる、具体的で建設的な関わりです。それは、時にアドバイスという形をとるかもしれませんし、あるいは、ただ黙ってそばにいるという選択かもしれません。いずれにせよ、そのフィードバックは相手が自ら立ち上がり、今まで見えていなかった「新たな道」を発見するための、強力な光となり得るのです。


まとめ:あなたの「寄り添い」を、成長の光へ


「同感」は、人と人との繋がりを瞬時に生み出す温かい力を持っています。しかし、真に相手の力になり、その人の成長を願うのであれば、私たちは「共感」という、もう一歩踏み込んだ心の技術を意識する必要があります。

同感は「私も同じ」という共鳴。

共感は「あなたの気持ちを、あなたのままに」という尊重。

相手に寄り添うとは、相手に同化することではありません。自分と相手との違いを認め、その境界線を大切にしながら、相手の世界を深く理解しようと努める旅のようなものです。

その旅の中で生まれる「気づき」という宝物は、相手だけでなく、巡り巡って私たち自身の心をも豊かにし、新たな道を照らしてくれるはずです。今日から、安易な「わかる!」を、相手の世界を深く知ろうとする「そうなんだね」という優しい問いかけに変えてみませんか。その小さな変化が、あなたとあなたの大切な人の未来を、より明るく照らすかもしれません。


 
 
 

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